【創作】祖母が猫になった日の話

 祖母が猫になった日のことを、私はよく覚えている。あれは何年前だっただろう。私の子供たちはまだ小さくて、あの震災よりも前だから、おそろらく五年くらい前の話。

 *

 医師との面談を済ませた母が、渋い顔をしながら談話室に戻ってきた。
「ばあちゃん、どげんやって?」
「このままだと数日しか持たんらしいよ。ばあちゃんに意思を確認して下さいって」
 談話室の少し古びた椅子に座りながら、母は溜息をつく。祖母に、つまりは母の母に告知するのを、母はためらっているようだった。私は狭い部屋を走り回る子供たちを叱りながら、母の話を聞いている。
「ほっといたら、ばあちゃんは死んじゃうんやろ」
「もう肺が完全に駄目になっとるらしいけんね。再生医療でも無理みたい」
「ねえ、お母さん。ばあちゃんは変容したいんやろうか」
「もっと元気な頃に、意思を確認しとくんやったねえ。こういう状態になってからやと、なかなか言い出しづらいけんが」
「あっ、こらはーちゃん! 本棚に登ったらいかんでしょうが」
 背中から抱えた娘が、捕まえたての魚みたいにびちびちと暴れる。まるで命のカタマリみたいだと思う。

 母の告知を、祖母は横たわったまま黙って聞いていた。
「……ということらしいけど、どうするかねばあちゃん」
 母は自分の母のことをばあちゃんと呼ぶ。どうしてお母さんと呼ばないのだろうと不思議に思っていた。だけどいつの間にか、私も自分の母のことをおばあちゃんと呼んでいる。子供ができるとそうなってしまうのだろうか。
「あっ、起きらんでいいのに」
 祖母は呼吸器を外しながら体を起こそうとする。それからひゅうひゅうと乱れた息を吐き
「もう一度走りたい。猫になりたい」
 と言った。

 話が決まってしまえば段取りは早いもので、面談の翌日にはもう変容が決定した。変容室に運ばれていく祖母を、母は笑顔で見送っていた。
「かわいくしてもらうんよ」
 なんて軽口を叩いている。だけどその白く重い扉が閉じた時、横顔が泣いているような気がして、私は母を見ないふりをした。

「公子さんの細胞の九割ほどはもう活用できないようですね」
 変容室の隣にあるカウンセリングルームで、私と母はオーガニックなハーブティーなんかを飲みながら変容師の話を聞いている。
「十一パーセント、概ね五キログラムくらいの細胞が再利用できます。猫になるのなら、少し余裕がありますね。大丈夫ですよ。デザインはどうしますか」
 カタログを眺めながら、私たちはウキウキとしたていを装っている。
「こんなふさふさした感じもかわいいよねえ。でもばあちゃんっぽくないかなあ」
「このデザインで、灰色にできますか? 母の髪の色みたいな」
「それはステキですね。いいチョイスですよ」
 白衣を来た、だけど医師よりもオシャレな雰囲気の変容師は、私たちを安心させるように微笑んだ。

 一旦家に帰っても良かったのだけれど、変容は二時間くらいで終わるというので、病院の近くのミスドで待つことにした。
「川端のじいちゃんおったやろ?」
「だれ? 知らん」
甲佐町の幸子ちゃんのお祖父ちゃんよ。佳江が三歳くらいの頃、よう遊んで貰いよったやないの」
「そんなん覚えてないよー」
 私はぬるくなったカフェオレを飲み干す。特別においしいわけでもないけれど、おかわり自由なのにおかわりをしないと、損をした気分になってしまう。
「川端のじいちゃんは使える細胞がほとんどなかったらしくて、本当は柴犬になりたかったけど、手のひらに乗るくらいの柴犬になりますけどどうしますかって、変容師さんに聞かれたらしくて」
「わはは。かわいいやん、手のり柴犬」
「結局、オウムにしてもらったらしいよ」
「あー、なるほどね。オウムかあ、オウムいいよね」
「幸子ちゃんが、失敗したーって言いよった。オウムはどこでもフンして回るけん、片付けるのがちょっと嫌な気分って」
「オウムに変容したら、喋れるんかな」
「最初は川端のじいちゃんっぽいことも話せとったけど、しだいに普通のオウムっぽくなっていくんやって」
「へー、まさにオウム返しってやつか」
 空はとてもよく晴れていた。生まれ変わるのに最適な日だなあ、なんてことを思う。

(お母さんの最後はどうする?)
 私は言葉を飲み込んで、カフェオレのおかわりを貰いにいく。