【創作】皮付きフライドポテトの作り方

 四十一歳の主婦は物語の主人公になれない。あるいは主人公になれたとしても、アマゾンのベストセラー第一位になったり、ハリウッドで映画化されたりはしない。
 
 息子の七歳の誕生日に、なにが食べたいのかを尋ねると
「ビックベアーズのピザ!」
 と即答された。
 ビックベアーズの宅配ピザは確かにおいしいけれど、誕生日に凝ったものを作るつもりでいたので若干拍子抜けだった。手抜きができるし、まあいいかということで自分を納得させる。
「じゃあケーキ屋さんにケーキを取りに行って、おやつの時間にケーキを食べて、夕ごはんはピザにしようかね」
「えー、だめ! ケーキは夕ごはんのあとやないと」
「ケーキ食べるの遅くなっちゃうよ。二時に予約してあるのに」
「だって、明るかったらろうそくが目立たんやん」
「うーん、そうかあ。じゃあ、早めにピザを食べて、お風呂に入って、暗くなってからケーキを食べようか」
「うん!」
 
 私には十歳の娘と、七歳になった息子と、まだ生後四ヶ月の息子がいる。それから三歳年下の夫もいる。私を含むこの五人でのごくあたりまえの生活が、私には稀有なことのように思える。
 たとえば娘がピアノで新しい曲を弾けるようになったとき、たとえば長男がひとつ年をとったとき、たとえば次男が笑うようになったとき、自分をまるで観察者のように感じる。私はこの人たちを見守りながら暮らしている。寒い冬の朝、水たまりに張った薄い氷と、それに映るきらきらした空を、踏み抜かずにそっと歩くように。
 
 近所のケーキ屋に、予約をしておいたケーキを取りに行く。ケーキの上には息子の希望で、パズドラというゲームのなんとかいうキャラクターを描いてもらった。夫は分かるみたいだけれど、私はパズドラをしたことがないのでそのキャラクターを知らない。私の知らないことを息子が好んでいるということを、少し寂しく思ったりもする。
「ケーキ、冷蔵庫に入るんかな」
 冷蔵庫の中のものをパズルみたいに入れ替えて、なんとかケーキ箱ひとつ入るくらいのスペースを開ける。
 
 インターネットでピザを注文して、野菜室からじゃがいもを取り出す。
「あーくん、フライドポテトはママの作ったやつでいい?」
「いいよー、ママの作ったポテトおいしいけん」
 宅配ピザのセットでポテトをつけても良かったのだけれど、せっかくの誕生日だしなにか一品くらいは自分で作りたかったのだ。
 
 じゃがいもの皮をたわしでこそげるように洗う。土は丁寧に落として、皮は残る程度に。じゃがいもは細長いメイクイーンよりも馬鈴薯の方が好ましい。丸い形のものを、りんごを切るようにくし型に切る。八等分、あるいは十二等分。そのへんはわりと適当だったりする。
 鉄のフライパンに油を入れる。切ったじゃがいもが隠れる程度の、二センチから三センチくらい。うちで揚げ物をすることはそれほど多くないから、ちょっと贅沢だけれどグレープシードオイルを使っている。くせがなくて揚げものがサクサクと揚がる。
 コンロの火をつけて、私は真っ黒なフライパンの底を覗く。油が温まって、菜箸を入れると小さな気泡が出るくらいになったら、くし型に切ったじゃがいもを入れる。そうして低温の油でじっくりと煮るように揚げるのだ。じゃがいもをレンジで少し温めておけば早く揚がるのだけれど、あえてそうはしない。仕上がりに大した差はないのだろうけれど。
 
 ふつふつと泡を出して煮える油を、見ているのが好きだった。じゃがいもが柔らかくなるまで、だいたい五分くらいの間、私はフライパンを眺めている。じゅわじゅわとそれからばちばちと雨のような音がする。そうだ、小学生のとき、運動会の日の朝に雨音がすると思って起きたら空は晴れていて、それは母が唐揚げを作っている音だった。体育は苦手だったのに、運動会は好きだった。運動会のお弁当が好きだった。漆塗りの重箱に入った、唐揚げとゆかりのおにぎりと甘い卵焼き。あれは四年生のときだったろうか、父と母と妹と、祖母もいた気がする。まだ若かった、灰色の猫になる前の祖母。
 
「あっ!」
 我に返ると、じゃがいもは綺麗なきつね色に揚がっていた。慌てて皿にキッチンペーパーを敷く。玄関の呼び鈴が鳴る。
「パパー、ピザ屋さんのお金払っといてー」
 呼び鈴で目覚めたのか、次男がうえっうえっと半泣きの声を上げている。
「あー、いい匂いがする」
「はーちゃん、ポテトにお塩ふって。あーくん、パパからピザもらってきて」
「はあい」
 揚げ物の音だけが響いていた台所が、一挙に騒々しくなる。
「ぼんやりしとった。ポテトが焦げなくて良かった」
「ママ、居眠りしとったん?」
「うちのお鍋の底、ときどき異世界に繋がるんよね」
「異世界」
「たとえば火星に海があったり、死んだら変容せずに燃やされる世界」
「それってSFやん」
「へえ、はーちゃんSFとか知ってるんだ。小学校でSF流行ってる?」
「全然流行っとらん。ポテトに青のりふる?」
「うん、半分は青のり、半分は胡椒にしよう。そうかあ、SFは流行らんか」
「あーくん、こしょうごりごりする!」
 夫が片手に次男を抱えて台所に入ってくる。夕方の空はまだ明るいけれど、長男が主人公のイベントが始まる。